当ブログを読んでいただきまして、まことにありがとうございます!
六角人です。
このページを開いているということは、ボクのことに興味を持ってしまったということですよね?
(・・・え、違うの?)
そんなハイセンスなあなたのために!!
これまでの人生とこれからやりたいことなんかを、なるべくわかりやすいよう次回予告風にまとめてみました。
いや!そもそも文字なんて読みたいくないんだよって方には、動画もご用意してあります(万全の体制)。
どうでしょう?
なんとなーく、ボクのことを知っていただけたのではないかと思います。
さらに細かく知りたい!
そんなもの好きな方のために!
さらにディープな六角人の世界へ・・・!
それでは・・・
よろしくお願いしまーっす!!
もくじ
第1話「六角人ってこんな人」
2018年現在、東京在住社会人11年目になりました。
六本木の焼肉屋で働いています。
フルタイムでサラリーマンとして勤務しながら、出勤前や後、休みの日は副業をしています。
上の画像にまとめたもの以外にも細かいことはいろいろとやっているので、最近は自分の仕事が何かよくわからなくなってきました。
あえていうなら、自分がおもしろいと思ったことを実現する何でも屋さん、みたいな。
第2話「好き」
惚れやすい性格なのか、好きなことはいっぱいあります。
好きがそのまま仕事になってる感じですねー。
だって、興味あることにしかやる気が起きないから。
ずっと同じことをやっているのは苦手ですが、思いついたらすぐに動き出せる思い切りのよさが特徴です。
第3話「ちょっと自慢できること」
好きなことをがんばってたら、いろいろとおもしろい経験ができたし、珍しい特技も身につきました。
紅白出場は一生の思い出になるので、出られる人はぜひ出ましょう!
顔が六角形というのは東京に来てから言われ出したので、多分途中で進化したんだと思います。
名前は忘れられても、顔だけは忘れられないので非常に重宝しています。
第4話「略歴」
これまでの人生で起きた主な出来事をまとめてみました。
どれもこれもその後の人生を変えてしまうほどの事件でした。
第5話 小学校時代「大阪で爆誕!」
大阪生まれ大阪育ちです。
父は代々続く農家の息子、母は起業家の娘でした。
地球人とサイヤ人の混血みたいなもんです。
大阪府泉佐野市の山間部で幼少期を過ごし、冬でも半袖で外を走り回る子どもでした。
第6話 中学校時代「中二病発症」
学校の成績は自分でいうのもなんですが、めっちゃ優秀でした。
先生からの信頼も厚く、生徒会長に推薦されたりして。
しかし、学校が終われば家に引きこもって漫画・アニメ・ゲーム三昧。
寝るのを忘れてました。
その結果、将来の夢は忍者でした。
第7話 高校時代「肥大化する自我!」
いろんなコンテンツに触れていくうちに自分でも表現したい欲が出てきました。
むしろ自分は天才かもしれないと思い出したので、孤高の天才を目指すことにしました。
自作のHPを作り、小説を書き、オリジナルソングを歌い、舞台に出たりしていました。
ちなみに、忍者の道は就職先が限られるので諦めました。
第8話 大学時代「ただひたすらにまっすぐに!」
いろいろ考えた挙句、映画を作れば自分のやりたいことが全部できることに気がつきました。
親から大学だけは行ってほしいといわれたので、脚本の勉強をするために文学部に入学。
入学式の日にたまたま勧誘された応援団に入団しました。
気がつけば、映画のことなんか一切できずに4年間を過ごしました。
変えちゃいけないモノ、変えなきゃいけないモノ、一生懸命にやることの大切さとカッコよさを学生のうちに知れたのは本当によかったです。
第9話 24歳「行くぜ大東京!」
就活の時に「そういや、映画監督になりたかったんや!」ということを思い出し、2週間で就活を終わらせると、そのまま東京行きも決めました。
ついに視聴者側から制作側、映像業界へ。
希望を胸に飛び込んだ世界は、真の天才と鬼才と廃人たちが入り乱れる戦場でした。
気合と根性だけでは当然太刀打ちできず、自分の才能なんか凡人レベルだと思い知る。
楽しかったしやりがいもあったけど、燃え尽きたぜ、真っ白にな。
第10話 26歳「次の舞台は飲食業界!」
次の仕事を探していた時に、たまたま読んだ本をきっかけに飲食業会へ。
いろいろあって焼肉屋さんになりました。
自由気ままにやっていたら、上司からめっちゃ怒られてクビになりかけました。
完全に調子に乗ってたんだと思います。
それをきっかけに仕事の意味や生き方を本気で考えるようになりました。
どうせやるならトップ、店長を目指す!
第11話 34歳「まさか自分が障害者に?」
数年間の下積みの末、なんとか店長になることができました。
しかし、店長になってからありえないミスを繰り返すようになります。
やればやるほど問題が起きまくって、じわじわと追い詰められていく感覚。
自分ではどうすることもできなくなって、病院で検査を受けた結果「成人型注意欠陥多動性障害(ADHD)」と診断されました。
今までの人生で作り上げてきた価値観が崩れ落ちていくのは怖かったです。
さすがに落ち込みましたねぇ。
でも、このまま生きててもおもしろくない。
「生きやすい環境は自分で作ったる!」と再スタートを切ったのでした。
最終話 2018年→2019年「これからやっていくこと」
最後までお付き合いいただきありがとうございます!
ざっくりですが、六角人とはこういう人間です。
先ほども書いた通り「生きやすい環境を自分で作る」ために、仕事・生活・人間関係など全部変えました。
そしたらすげー「楽」になりました。
生きづらさは自分の心がけや工夫次第でいくらでも改善できる。
今ではそう信じています。
でも、まだまだ満足していません。
ADHD診断を受けたことで「何かに依存することは人生において最大のリスクだ」と考えるようになりました。
何者にも依存せず自分の意思で生きていくために、2019年に大阪の地元に戻ります。
やりたいこと、やれることはまだまだいっぱいあるので、自分の生き方を通してみなさんの人生をちょっともしろおかしくできるようがんばります。
これからも応援のほど、よろしくお願いします!!
◆◇六角人のTwitter
https://twitter.com/rokkaku0506