どうも、六角人です。
社会人を10年やったら、ちょっとメンタルの調子がおかしくなって、病院に行ったら発達障害(ADHD)だという診断を受けました。
これって、不幸なんですかね?
なんで自分が障害者に
診断を受けた当初は「なんで自分がこんなことに・・・」という気持ちがありました。
苦しい思いして、迷惑かけて、怒られまくりながらやってきた結果がこれか、と。
でも生来の楽観的な性格のおかげか、1ヶ月もすると「障害なんてどうせ治らないなら、受け入れてやっていくしかないか。死ぬわけやないし」と思うようになりました。
それからは自分なりにできることは、片っぱしからやってみました。
仕事のやり方変えたり、引っ越したり、本を読んで勉強したり、同じ障害を持つ人に話を聞きに行ったり。
そうしてわかったのが、苦手なことも多いけど、できることもあるということでした。
当たり前っちゃあ、当たり前。
ですが、自信を失っていたボクには、できることがあると認識できたのはめちゃめちゃ心強いことでした。
今、不幸ですか?
もちろん、障害の問題が根本的に解決されたわけではないです。
いまだに部屋の片付けは壊滅的だし、数字を覚えるのは苦手です。
追い込まれるとテンパってしまう癖も治りません。
でも「今、不幸ですか?」って聞かれたら、自信を持って否定できます。
だって、失ったもの以上に残ったものの方が大きかったから。
これはたぶん、10年間がんばってきたおかげかな、と思います。
辛いこともあったけど、あきらめなくてよかった。
障害をオープンにしてからも、働かせてくれた会社があるし、変わらない付き合いをしてくれる仲間がいました。
離れて行ってしまった人もいるけれど、それはもう仕方のないこと。
今あるものを大切にしながら、できることをやれる限りやっています。
発達障害だからって発達(成長)できないわけじゃない
ボクは発達障害のことを
「発達(成長)できない」のではなく
「発達(成長)するスピードが一般的な平均とズレている」
状態なんだと考えています。
診断を受ける前は「35歳にもなって、社会人10年もやっているのに、どうしてこんなことすらできないの!」みたいな怒られ方をされていました。
普通の人が100点取れて当たり前のところで、70点しか取れなければ、そら注意されますよね。
でも、別の見方をすれば「70点は取れている」
100点を求めるから問題になるのであって、合格ラインを70点に下げてしまえば十分やれているんです。
ボクの場合だと100点の店長にはなれなかったけど、70点の店員ならやれる。
10年かけてやってきたことは無駄じゃなかった。
一般的なスピードには追いつけなかったものの、自分のペースで確実に成長してきてたんですね。
不自由だけど、不幸じゃない
少しずつ、発達障害というものが認知され始めたおかげで、学生の頃に診断を受ける人も増えてきました。
ボクも早くに診断されていれば別の人生もあったかもな、とは考えたりします。
しかし、診断を受けていなかったからこそ、いろんなことに挑戦しまくれたような気もします。
結果的には調子を崩してしまったけれど、後悔はしていません。
10年で得てきた知識や技術や経験は、今の自分を助けてくれています。
70点かもしれないけれど、何もやっていなかったら0点のままですし。
ひとつ言えるとしたら「障害を理由に、やりたいことをあきらめるのは、やめた方がいいよ」ってことかな。
もちろん辛くなったら逃げてください。
身体と精神が壊れたら何にもなりません。
逃げて、休んで、元気になったらまたやり直せばいいんです。
発達障害って、不自由だけど、不幸じゃないねんで。
自分のペースでええから、やれることからやっていこうー。